ファッションデザイナー成功事例 中田優也さんインタビュー

YUYA NAKATA
1988年生まれ。岐阜県可児市出身。2013年、文化ファッション大学院大学を首席で卒業。その後、株式会社オンワード樫山に入社。2016年に独立し、2017年「POSTELEGANT」でデビュー。
上質な素材、生地をたっぷりと使い、ユニセックスで着られるデザインで注目を集めている。http://www.postelegant.com

■中田さんがデザイナーを目指すきっかけは何でしたか?

 小さな頃からずっと、デザイナーになりたいと思っていました。姉の影響で名古屋に行ったり、アウトレットモールに行ったり、ファッション雑誌が家にあったり、それがきっかけだったと思います。小学校の卒業文集にも「将来は自分のブランドをやる」と書いていました。その頃からずっと変わらず今まで来ているという感じですね。

■どのようにデザインの勉強をされましたか?

 高校では、海外でファッションを学びたいという気持ちがあったので、単位制の高校を選び、英語の授業を多く受けました。普通科でしたので、文化祭ではファッションショーを行ったりして、自分なりに色々とやっていました。卒業後は色々と考えた結果、名古屋学芸大学に進学しました。3年生の後期から1年間、パリに留学し、パターンメイキングという型紙作りの手法を勉強しました。大学卒業後、文化ファッション大学院大学のデザインコースに進学の為、上京しました。そこでの2年間は、自分を表現するということを通して、デザイナーとしてどうなりたいかを見つけだすような期間でした。

■大学院卒業後は?

 オンワード樫山でレディースのブランドのデザイナーとして2年半ほど働きました。日本の一般的なファッションの流れや仕事の流れ、デザイナーの業務について、実務として学びたいと思っていました。

■どのようなことがきっかけで独立されたのですか?

 いろいろと幸運が重なって、いいポジションを早々にやらせてもらえたりして学ぶことができたので早めに独立という形になりました。
 大学院にいる時に、素材が好きだということに気付いたのが大きくて、「素材からデザインを始めるというプロセスが自分に合っている」自分でやるなら素材を強みにしたブランドにしたいという思いで始めました。

■テキスタイルマテリアルセンターとの出会いは?

 大学院在学中にコンテストのようなものがあり、それで訪問したのが最初ですね。それから定期的に来るようになりました。それまでは、全くここの存在を知らなかったので、「こんな素晴らしいところがあるんだ!」と驚きました。僕にとってはもう宝の山、「こんな恵まれた環境は他には無い!」と思いました。だから今でも年に何回かは通っているんです。

■上手くいき始めたと感じたのはいつ頃ですか?

 半年に1回に展示会をやっていますが、最初はバイヤーさんが2人とか3人ぐらいしか来てくれなかったこともありました。ちょっとずつ商品がお店に出たり、買ってくれる人がいたり、2年目に入った頃ぐらいから、見てくれたバイヤーさんの数が増えたタイミングがありまして、そこから動き出したという感じがしました。ちょっとずつ商品が出て行き、お店に並んで買ってくれた人や来てくれた人が増えてきた時に、「これいいね」とか「この冬、毎日これ着ていました」とか、そういうリアクションがたくさん返ってきた時に、「自分がやってることは大丈夫だな」という感覚を持ちはじめました。

■素材へのこだわりを教えてください

 「着心地」とか「服という物体として長く残っていけるか」とか、「着る側の気持ちとして飽きないか」とか。そういうところをすごく意識して素材選びをしているので、見た目が好きというのも大事ですけど、それが着にくい結果となってしまって、実際はずっとしまってあったりするよりも、やっぱり「気に入って毎日着ていました!」と言われほうが、一番嬉しいので、そういうところにこだわって素材を選んでいます。
 僕が目指しているのは、おしゃれは大事なんだけど、「おしゃれかどうかよりも本当に好きで着たいか」とか、そういう気持ちの方が僕は嬉しくて、「本人が喜んで着るというところがゴール」と考えています。分かりやすく言うと、皆が共通に持っている「美味しい」みたいな感覚に近いと思っていて、「あれ美味しいよね」というのを服で味わってほしい、感じて欲しい。それはやっぱり着心地の良さとか気持ちで、着ていて「気分が上がる」とか「気持ちがいい」とか、そういうところに繋がっているのかなと思っています。

■今後のビジョンを教えてください

 自分のブランドとしてはもう本当にやりたいことはすでにやれている状態なんです。変に大きくなりたいわけでもなく、規模というよりも、「一人一人の満足度が高まる」とか、そういう所へもう少し注力していきたいなと思っています。もちろん世界に発信してきたいという気持ちもあります。「着心地の良さ」という感覚は、世界中共通で「美味しい」の感覚と一緒だと思ってるので、そんなふうに世界中に広がればいいなと思っています。

■中田さんにとってファッションとは?

 そうですね、最初はファッションやりたい!とか服好き!みたいなものから始まったのですが、実際に自分のブランドをやるようになって、仕事をしていく中で最近思うのは、「衣食住の一つに関わってるって凄いことだな」ということです。それをやれてるっていうのは全ての人に届く可能性があることで、着る服でその人がすごくいい気持ちになったりとか、もっといい思考に変わっていったりとか、それが結果的に良い世の中に変わっていく、ひとつのきっかけになり得ると思います。
 衣服はその人の表面のほとんどを飾るわけですから、そういう意味では自信持って着てもらえるようなものを作るというのがプロとしての責任だと思います。
 僕も東京でブランドというものをやっていますが、それを自分なりに利用して東京からの発信を強めつつ、やっぱり、地元である尾州を盛り上げたいという気持ちがものすごくあるので、尾州から何か発信する拠点も作っていきたいと思っています。どこにいたって何をやっているかの方が大事。どう発信していくか、何をしたいか、その人は何を目指してるのか、というところに人は集まるし、応援する人も増える。そういうことが未来を作っていくことだと思っています。