near.nippon 深山さん・上島さんインタビュー

「near.nippon」深山拓也・上島朋子
2000年に2人で、near.を立ち上げ、展示会形式で年2回コレクション発表。
2006年7月 株式会社near設立。
2007年〜2011年 パリ合同展示会に出展。
現在は東京にて年2回のコレクションを発表。
「新しいキャリア層の創造」をテーマに、 ビジネスシーンにおける自己表現、日常生活におけるクリエーションを提案。 ベーシック×モードをベースとして、上質な素材とハンドクラフトテクニックを用い 新しいバランスやシルエットの中に、美しさと強さを持った服作りを目指す。

深山拓也
織田ファッション専門学校 ファッションデザイン科卒業。

上島朋子
文化服装学院 アパレル技術専攻科卒業 織田ファッション専門学校で服飾教員として勤務。

公式HP: https://www.near-nippon.com/

--- ファッションに興味を持ったきっかけを教えてください

(深山)子供の頃から絵を描くことが好きで、らくがき帳を常に持ち歩く子供でした。模写するよりも空想して描くのが好きでしたね。小中高は部活でサッカーをやっていました。プロを目指していたというわけでもなく、将来のことは何も考えていなかったですね。部活を引退して、卒業後をどうするか考えたときに、「絵を描くことが好きだし、漠然と美大でも行こうかな」と。保育園のときの将来の夢が絵描きになることだったのもあって。でも、美大はそんな感じにいけるとこではないし、勉強は好きじゃないし、、、結局「絵じゃ無理だな」と思ったんです。

(深山)当時は古着を買いあさっていて、ファッションが好きだったので、それと空想して絵にするのが好きだったことが、ゼロからものをつくりだすことと、自分が趣味だった「洋服」っていうところで「デザイナー」というのが結びついたんです。自分はアメカジが好きだったんで、(その当時のいわゆるデザイナーっていうのはやっぱりヨーロッパ系で、全然結びついていなかったんですけど)当時、Helmut Lang (ヘルムートラング)っていうデザイナーがいて、ニューヨークコレクションとかにもデニムに白Tみたいなのでコレクションをやっていて、その人見た時に、「あぁ、なんかこういう路線でもデザイナーっているんだ」と思って、それがキッカケで服の専門学校に入りました。

---専門学校ではどういったことを学ばれましたか?

(深山)専門学校はいわゆるデザイン科ってところで、デザイナーを育成するところだったんですけど、そこはデザインするだけじゃなくて製図の授業もあるんですよ。自分は入学してから半年も経たず、「製図は無理だ」「全然好きじゃない」と思って、友達にギャラを払ってパターン(製図)を引いてもらってたんです(笑)。結局、3年間、製図はほとんどやらず、企画とデザインに集中していました。学校の活動とは別で、クラブを貸し切ってイベントをやって、クラスメイト3人、3ブランドで各々洋服を作ってファッションショーをやったり。

(深山)当時はデザイナーって「どこかの会社に就職して誰かのデザインをやるっていう職種」だとは知らなかったんですよ。専門学校を卒業したら「みんなが自分のブランドを持ってやるんだろうな」と勝手に思いこんでいました。だからはなから就職する気が全くなかったんです。

---専門学校を卒業してすぐに独立を?

(深山)卒業してからは、遊んでた時期と言いますか、「今は別にやりたくないな」とかそんな感じの時期がありました。その時に、学校の先輩が卒業してからスタイリストをやってたんです。その人はファッションじゃない音楽のイベントとかも色々やってて、自分もプー太郎みたいな感じだったので、その先輩の手伝いで、車出したり、衣裳集めたりとかやっている中で、「やっぱり服を作るデザイン業務がしたい!」と思ってブランドを立ち上げることにしたんです。でも、自分はデザインしかやりたくなかったので、「製図できる人誰かいないかなぁ」って頭の中で探した時に「パッ」と浮かんだのが上島(先生)だったんです。すぐ学校に会いにいって「先生一緒にやんない?」って声かけたんです。そしたら、すぐ「いいよ」って。

---!!本当ですか?

(上島)深山に誘われたときは、その場で「あ、もうやるやる!」って感じでしたね(笑)6年間、教員として勤務してましたけど、心のどこかで、とにかく自分が売るレベルのものを作って「人に着ていただく」ということを体験したいっていう願望があって。

---学校の先生を誘うっていうのはなかなか発想ないですよね

(深山)直感ですね「あの人と組んだらいける!」みたいな。その日のことはよく覚えています。夜、「なんかこういうの作りたいな」なんて絵を描いていたら、急に思いついたのが上島先生で。学生の時は友達にパターン(製図)引いてもらってた人いたんですけど、その人はなんか違って。ちょうど学校の文化祭の時期だったので、すぐに誘いに行きました。

---勝算はあったんですか?

(上島)ないですね。ないけど、まぁ、どうにかなるかと・・・深山もなんにも考えてなかったと思います。フワフワしてましたね。でも繊研新聞とかは、1年目のころからずっと読んでいたので、ビジネスには興味のあるタイプだったと思います。

---ふたりでどのように活動を始められたんですか?

(上島)とりあえずアトリエ借りようってなって、私もすぐに学校を辞められなかったので、土日に集まって試作を二人で作ったりして。そこの家賃とかは、試作を親戚のおばちゃんや友達に売ったりして工面していました。お互いの両親から金銭的な協力もありました。勢いですよね。一年間はそれですり合わせて、2000年の4月にちゃんとスタートしようと。

---『near.nippon』には、どのような意味が込められていますか?

(深山)日本人の「アイデンティティ」とか「ホスピタリティ」とか、「かゆいところに手が届く」という意味合い。near.っていうのは「相反する要素を近づける」という意味の「near.」だったんですけど、自分が昔から「何かをミックスしたようなデザイン」が好きだったり、「ありそうでないもの」を空想で絵に描いてたので、そういう意味合いで名付けています。今でいうと、「カジュアル」と「エレガント」を近づける。「マスキュリン」と「フェミニン」を近づける。常に何か二つの要素を近づけるところが私たちのデザインになっています。

--- ブランド立ち上げ当初はどんな感じだったんでしょうか?

(深山)本当に勢いで立ち上げちゃったんで、生地買おうなんて思っても買うところも知らなかったんです。繊研新聞の下の欄にあるその生地屋さんに「行ってもいいですか?」って電話して。業界用語を何も知らないので、「一反買える?」って聞かれて、「一反ってなんですか?」からはじまって(笑)。門前払いでしたね。それで、上島の同級生に相談したら、洋服作る素人と工場とか生地屋さんを繋げてくれる中間業者みたいなものがあって、その人を紹介してもらったんです。最初は中間業者を通して生地買わせてもらったりとか。業界のことを学びながら、徐々に立ち上げて行ったという感じですね。

(深山)はじめは展示会やってもショップも呼べないので、とにかくサンプルを作って、スーツケースに入れて、九州から北海道の専門店さんを調べて、日本一周、飛び込み営業に行ったんですけど、全然契約を取れなかったんです。洋服も見てもらえなくて、「東京で売れてるの?」って聞かれて、「売れてないです」って答えると「売れてから来て」って言われて、とても悔しい思いをしました。

(深山)今もなんですけど、そういう洋服で判断できないバイヤーにはこっちから売らない。だから今でも飛び込み営業に行ってるんですよ。やっぱり直接お店に行ってオーナーと話さないと、良いお店かどうかとか、分からないし。今もやり方はあんまり変わってないです。

--- はじめは大変でしたね。

(上島)常に崖っぷちでしたね。それで生きていくって決めて、もう周りにも言っていたし、やめるという選択肢はなかったですね。そういう思考でした。

(深山)全国を回っても売れなかった時に、専門学校の先輩の人脈から、バイヤーさんを紹介してもらって、そこが買ってくれたんですよ。それでちょっと食いつなげてたんですけど、原価計算も全然素人なんで、計理士さんに相談したら、売れてるけど全然利益が残ってないって言われて(笑)。

その時はカジュアルを作っていたんですけど、方向転換を考えて、ブランドの価値をしっかり作って行くことにしました。

--- うまくいき始めたきっかけは?

(深山)私たちの強みは、現場の声を吸い上げてデザインを落とし込む作業をずっと地道にやってきたことですかね。そのやり方で取り引き先をちょっとずつ増やしていきました。もう本当にゆっくりって感じです。
 2007年頃、海外にチャレンジしたくなって、パリの展示会に3年くらい出しました。そこで海外で売れるものと、日本で売れるものが全然違うことが分かったんですよ。「どっちでやっていく?」ってなった時に、やっぱり「身近な人が自分が作ったものを着てる」っていう方が自分は楽しいと感じていたので、海外はきっぱりやめて、日本の企画にガッツリ戻して、コンセプトとターゲットを絞っていきました。そこからちょっとずつ、うまくいきだしたって感じですね。

--- パリでの経験がコンセプトを絞り込むきっかけになったんですね

(深山)はい。そこで絞り込んだコンセプトっていうのが「仕事にも着ていけるデザイン」。オンオフ両方着られる、near.の考え方で言うとオンオフを近づけるじゃないですけど、綺麗な場面でもカジュアルにしても着れるっていうコンセプトに絞って、それが少しずつ浸透していった感じです。そこからはコンセプトをぶらさないで、現場に足を運んで声を聴いたりして、さらにコンセプトを突き詰めるっていう感じですね。半年ごとに「ここ良かった」「良くなかった」「今こうだよね」っていうのを話し合いながら改善しています。

--- テキスタイルマテリアルセンターとの出会いは?

(深山)パリから帰ってすぐ尾州(BISHU)を巡るツアーがあって、それに参加した時に連れてきてもらいました。日本の技術で「こんなにいい生地が作れる生産場所があるんだ」と実感しましたね。ここには「デザインに行き詰ったり」「刺激が欲しかったり」新しい発想を出したいときに来ています。ここに来た方が早いので。

(上島)私もマテリアルセンターの存在は知っていたのですが、深山に「すごい生地の資料館があるよ」と誘ってもらって一緒に見に来たのが初めてです。すごくびっくりしましたね。こういう場所があることは宝だと思います。世界レベルでもここしかないんじゃないですかね。

(深山)最近は物価の高騰や、燃料費の高騰でいい生地が上がってこないんですよ、各社に。経費削減ばっかりで、天然繊維100%のものはすごい減ってて、ウール100%のものとかも減ってたり、ポリエステルを上手く使いましたとかっていう生地ばっかり。だから本物の生地が見たくて、アーカイブの贅沢だった時代のものを見て、それをまた自分たちで作れたらいいなと思ってます。

--- 今後、どのようなデザインや企画をしていく予定ですか?

(深山)コンセプトは変えず、血の通ったやり取りをしたいという思いです。情熱を持っている人たちと一緒に仕事がしたいっていうのがあって。だから地道にショップに飛び込んで回ったりだとか、バイヤーさんとよく話したり、そういうところから新しい発想が出てきたりするんです。

(上島)継続を一番に考えていきたいですね。その時々の時代性と自分たちのやりたいこと、やれることを見て継続していく。すごく大きくしたいという考えはなくて、いい規模の継続で徐々に成長していくというのが大事だと思っています。それは深山もおなじベクトルを向いていると思います。

(深山)お金儲けが一番だったらこんなやり方してないと思いますよ。自分は勢いで独立しましたけど、裏を返せば自分の感情に従ったってことだから、パッとやったって金儲けの為にやろうということでもなかったんで、だからどんどん原点に戻っていってるって感じですね。

(深山)お店でイベントやらせてもらったりしてて、自分が直接お客さんに説明したりだとか。その中でもやりとりがあるんで、それがすごく心地よくって。自分の人生の時間を削って来てくれて、自分の人生の中でうちの服を着てくれた。だからその人たちのために作りたいなぁって思う気持ちがデザインを発想させるんです。その人たちがまだ着ていない自分たちの提案を半分入れて。だからnear.のコンセプトってずっとそこは変わってなくて、相手もありきだし、自分たちもそうだし、ミックスしてお互いにとっていい服を作りたい。そういうところに時間を使っていきたいと思っています。

ありがとうございました!今後も深山さんと上島さんのご活躍を応援しています!